『りんご通信』2007年3月号より
アディムの教材は幼児教室と小学部とで違った顔をしています。幼児教室の教材は一点一点が完結した、いわば「点」。子どもの中で次第につながって「線」になっていくといったものです。
下の2点はその一例。いずれも内容はシンプルですから説明も要らないほどで、大人にはカンタンな課題です。でも、子どもにとって易しいとは限りません。というより、これらの教材は「ちょっと難しい」ぐらいの子どもに出会ったとき、真価を発揮します。アディムの教材はそんなふうに位置づけられて、出番を待っています。
ちょっと難しいことを
喜ぶか?
アディムでは、学習指導の形として「易しいことを繰り返し練習して習熟する」ことと「ちょっと難しい課題に興味を覚えて取り組む」ことの使いわけを大事にしています。前者にあたるのが視写や計算や漢字などの反復学習です。これら、反復練習による過剰学習で培われる力を軽視すことはできません。内容に見通しが立っている安心感も有用です。けれども(よくあることですが)ここにだけ子どもを閉じ込めてしまっては伸びるものも伸びません。やはり後者の「ちょっと難しい課題に興味を覚えて取り組む」ことが子どもを力強く成長させます。ヴィコツキーという心理学者は、子どもが独力ではムリでも外からの援助を得れば達成できる領域を「発達の最近接領域」と名付けて教育の可能性としましたが、平たく言えば「ちょっと(=ほどよく)難しい課題」のことです。ここで肝心なのは、それを喜ぶメンタリティーを培っていくことです。人は「できる」と感じればやる気を起こし「出来そうもない」と感じればやる気を失います。ほどよく難しい課題を外からの援助で「できる」と感じた時、それを喜ぶメンタリティーが生まれます。
反復練習の成因は注意ですが、ちょっと難しい課題取り組みの成因は興味です。注意と興味の違いは、注意が対象との一元的な心的活動であるのに対し、興味はもっと多元的な広がりをもつことです。ひとことで言えばそれは好奇心や期待感だといえましょう。好奇心も期待感も繰り返しの体験の中で生まれ育っていくもので、「ちょっと難しかったけどおもしろかった」という課題体験の積み重ねが、やがて根強い期待感を育てます。期待感が心にしみ込んだ心性が他ならぬ意欲です。
ある課題が「ちょっと難しい」かどうかは相対的なものですから進度の判断は大事ですが、的外れがなければ「けれどもおもしろい」が実現します。課題を介した先生との対話の中で「ああでもない、こうでもない」と考えが行き交います。反復練習がさっさと速やかで正確な効率を目指すののと対照的に、ここでは寄り道や回り道もあるべき過程として尊重されます。個別指導のアディムならではです。
「ちょっと難しい」が
つながってくる小学部
小学部ではカリキュラムを仕切り直し、教材もグンと息が長いものに一変します。幼児教室の教材が「点」ならこちらは「線」の顔を持っています。
下の教材は小学部一年生算数・第11課の、足し算と引き算を総合する課題の復習テストです。幼児教室での課題体験が随所に組み込まれ、学力のネットワークの中に息づいているのを感じていただけるでしょう。
学力のネットワークは積み重ねの成果です。ことに算数はそうで、さまざまな体験の広がりが絶えずスッキリとした論理体系で統合されなくてはなりません。子どもたちは小学部のスタートから、数の物語りとも言うべきさまざまな数表象をたどって来ました。一対一対応、等号・不等号の使用、秤体験による等化操作、集合の形とベン図、タイルによる十進法ニ桁数の構造的な把握、ツートト符号、コインへの転換、コインそろばんによる数の加算と減算、計算手続きの理解と言語化(手続き的理解と陳述的理解のリンク)、両替えによる繰り上りと繰り下がりの操作、数直線、ハコ図と線分図、その他さまざまな仕掛け(デバイス)です。これらの全てがネットワークを作って、この課の課題である二桁の足し算と引き算の可逆的な関係の把握へつながっています。
つぎはいよいよ「算数は国語だ」を合い言葉に文章題の深みに分け入ります。さらにかけ算・わり算の、抽象の難関へと入るのも間近です。どんな展開が待つのか、いずれまたご紹介しましょう。
子どもはさまざまで、ある子に役立った方法が別の子にはさっぱりだということがあります。その対応は大事で、個別指導の利点を生かし、補助教材による指導が入ります。けれども多くの場合、ペースに早い遅いはあっても、たどる道筋は同じです。個別指導では、そこを綿密に実践できます。
「アディムの勉強は難しい」と言う人もいますが、「ちょっと難しいことを喜ぶ」子どもたちの期待感をエンジンに、じっくりねばっこく進んでいます。