幼児にとって ひらがなとは どういうものか

『りんご通信』1999年12月号より

 わが子が文字を覚え始めると親たるものは感動します。読字能力こそ将来の学習を支える基 礎的スキルのひとつなのですからあながち親バカともいえません。ここでは文字を覚え始める前後の幼い子どもにとって、「ひらがな」がどんな意味を持つのかを一考してみましょう。

かなと漢字
どっちが難しい?

 子どもにとってかなは漢字よりもやさしいと考えるのは公教育においても幅を利かせている いわば常識です。けれどもある種の漢字はかなよりも容易に学習されますし、一方かなは見か けほどやさしいものではありません。それで幼児にかなより漢字を積極的に教えようという教 育法もあるほどなのですが、ここではもう一歩踏み込んで、むしろひらがながもつ「難しさ」 に焦点を当て、そこに幼児期の記号体験ツールとしての可能性を探ってみたいと思います。
 ふつう、子どもが例えば「く」という字を見て「ku」の音を、「ま」という字を見て「ma 」の音を言えたらその文字が読めたものと受け止めてしまいがちですが、それは文字を読むと いう行為の半分の側面でしかありません。「くま」という文字を見て〈熊〉なら〈熊〉のイメージを想起する、つまり意味を読みとるというもうひとつの側面が伴って初めて読字行動というものは成り立ちます。この二つの側面は同時に成立するものではなく、両者をつなぐにはある飛躍が(スローモーションから早回しまでの個人差はあるにしても)必要なのです。
 発達遅滞児にひらがなを教えると、その間の事情が分かります。例えば、「く」を見て「ku 」と読めるように, 「ま」を見て「ma」と読めるように、なんとか学習できたとします(なかなか困難な課題ですが…)。けれどもそれで「くま」の文字列を見て〈熊〉を想起してくれるかというと、そうはなかなか問屋が卸しません。「ku-ma」と音が読めたとしても、〈熊〉という言葉やイメージ、つまり意味にまでたどり着くのがさらにひと苦労なのです。
 それよりも、「くま」という文字群を丸ごと〈熊〉と結びつける方が一般的に成り立ちやすい、つまりやさしいのですが、これはマクドナルドのハンバーガーに魅せられた子がマクドナルドのロゴマークを見て「マクドナルドの店だ」と認知するのと同じレベルのことで、「く」と「ま」それぞれのもつ表音機能を統合して表意機能に転換させるという複雑な操作を必要としません。表音文字としてのひらがなの仕組みを認知しているわけではないのです。
 ですから、例えば「くま」を〈熊〉と結びつけたとして、今度は「くるま」に困ります。「 く」や「ま」があればそれだけで「くるま」も〈熊〉。「くつ」も〈熊〉。もちろん「まく」 も当然に〈熊〉です。(ついでにいえば〈幕〉などというなじみのない言葉を想起して「maku」と読めなどというのはひらがなをマスターした健常児にも無理難題というもの)。ところが、「熊」という漢字を〈熊〉のイメージと結びつける場合にはこうした複雑さはありません。マクドナルドのロゴがマクドナルドを表すのと同じレベルで成り立ちます。そういう意味でひらがなはある種の漢字より難しいのです。そして、実は、ここにひらがなという表音文字の記号体験ツールとしての面白さがあります。

丸ごと読みか
ひろい読みか

 さて、幼児のひらがなへのアクセスを「くま」から〈熊〉への「丸ごと読み」から始めるか 、それとも「く」「ま」から〈熊〉への「ひろい読み」から始めるかは、実はかな教育の大き なテーマとなります。
 学校で教科書の音読などを通して教えていくのは丸ごと読みの傾向をもちます。「くま」な ら「くま」という意味のある言葉を丸ごと読めれば、「くま」の「く」と「くつ」の「く」が 同じであることを理解しなくてもよいとする『語形法』の流れを汲む流儀で、「単に文字とし てでなく語として表記できることが大切だ」という文部省指導要領が背景にあります。
 これに対して、かなの表音機能を始めからはっきり意識させ、音声とリンクした表音文字と して教える『音声法』と呼ばれる方法がいわば語形法への改革として登場しました。かなを教 えるための系統的なカリキュラムとして成果を上げていますが、こちらは一字一字の拾い読み から語の読みに進む方向をとることになります。
 確かに小学校でかなを教えるにはこの方が親 切というものでしょう。しかしそれは、幼児の場合も同じなのでしょうか。
 先述の通り、幼児には拾い読みは必ずしも容易でなく、むしろ丸ごと読みの方がなじみやすいということがあります。それ以上に、はたして拾い読みが幼児の興味にかなう面白いものな のか、という点も大事です。
 そこで、もう一度丸ごと読みを見直してみると、幼児とひらがなの関わりの中に知的な課題 の大鉱脈が現れてきます。「くま」や「くつ」の丸ごと読みを重ねていくうち、子どもは必ず どの「く」も同じなのだという発見にたどり着いてくれるからです。これは、教えられてかな の仕組みを理解するのに比べて回り道ではあっても、はるかにエキサイティングな文字開眼で すし、その体験は応用が利く力強い知力となって後々にまでモノを言います。

ひらがなは
記号体験の宝庫

 言葉は音を時間的に配列したもので、表音文字はそれを記号の空間的な配列に置き換えたも のです。ひらがなが読めるということは、この仕組みが操作できることなのですが、そのため には、図形を見分ける視知覚から、語彙、発音、そして音節と文字を一対一対応させる音韻分 解など様々な下支え能力の成熟を必要とします。これらの能力は、必ずしも文字とは関わりな く子どもの中で発達していきますが、この過程を文字に至る課題として編成すれば、子どもは 文字が読めるようになるまでに、右脳と左脳にまたがる様々に豊かな記号体験をすることがで きます。拾い読み以前の大切な能力開発の機会となります。
 かなは日本語の一音(音節)を一字が表しています。同じ表音文字でもアルファベットが子 音や母音(音素)を表していて、しかも単語によって読み方が違ったりするのに比べると、ず っとシンプルです。またこのシンプルさの中に分け入れば子音と母音の五十音マトリックスの 世界が開けます。つまり、かなはほどほどに難しくほどほどに易しく、幼児期の記号体験の素 材として格好の奥行きをもった存在なのです。文字に接し始める前後のアディムランドの文字 教材は、このようなひらがなの要素や仕組みをきめ細かなステップで課題化し、子どもの興味 と思考を育てています。文字が読めるようになるのはいわば副産物だと言うのも理由はここに あります。
 さて、こうして「文字そのものを考える」経験を経て文字が読めるようになると、いよいよ 次は「文字が表すものについて考える」大きな世界が待ち受けています。これについてはまた 機会を改めましょう。両者は連続するものではありますが、とりあえずは分けて考えておいた 方が無理が生じません。

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