幼児に数をどう教える?

『りんご通信』2000年3月号より

数のむずかしさとは
 リンゴを見せて「これはリンゴだよ」と教えることは出来ます。でも、何かを見せてこれが 「1」だよと教えることが出来るでしょうか。仮に指一本を出して「これが1だよ」と言って みても、それはまず何よりも「指」でしょうし、リンゴ1個を見せて「これが1だよ」と言っ ても、それはまずリンゴです。数も言葉の一種ではありますが、「リンゴ」という言葉を教え たり覚えたりするのと同じようにはいきません。つまり「1」という言葉の場合、「1個のリ ンゴ」であったり「1匹の象さん」であったりする、いろいろな事物の存在に共通する、数の 側面だけを表します。けれどもはじめから数的側面だけを見せることは出来ませんから、やは り「1個のリンゴ」や「1匹の象さん」のような具体物の個数から1という数の意味を汲み取 らせるほかありません。すると、1は2より1少ないとか、1と1で2になるなどの他の数と の関係が浮かび上ってきます。つまり数はバラバラに存在するものではなく、相互の厳密な関 係があってはじめて意味をもちます。こんなに抽象的で体系的な数の意味を子どもに理解させ るのは一筋縄ではいきません。

百まで言えても…
  ただ、言葉には意味の側面と音声の側面とがあって、意味が伴わなくても音声を習得する事 は出来ます。「イチ、ニ、サン」と、十や二十まで唱えられると、いかにも数が達者なよう見 えますが、少し規則性のある歌の文句を覚えているようなもので、数の意味をどれほど理解し ているかは別問題です。そのあたりの実状は、ものを数えさせてみると分かります。
 いまここに、ドングリが五個あるとします。ある子は十まで数えられるのだとばかり、五個 しかなくても十まで数えます。ドングリの一つひとつに数詞の「一、二、三」を対応させるこ とには無頓着です。またある子は対応させることはできても同じドングリを何回も数えて十ま でいきます。もう少し進んで、ドングリの一つひとつと数詞を対応させ、五でぴたりと止まっ たとします。そこで「いくつあったの?」とたずねると、また指で数えながら「一、二、三、 四、五あったの」と答えます。「だから全部でいくつだったの?」と何回聞いても「一、二、 三、四、五あったの」と同じこと。ドングリのそれぞれに一、二、三と命名の儀式を執り行っ ているといった感覚で、量としての数を把握しているのではありません。だから、たとえば七 個のかたまりと八個のかたまりがあって、片方を七まで数え、片方を八まで数えたとしても、 どちら多かったかは分からないなどということが生じます。

数とは何だろう
 数量の最も基本的な機能は、この「多いか、少ないか、等しいか」を区別するところにあり ます。どれだけ多い(少ない)もその上に導き出されます。
 この区別をするためのいちばん素朴で原理的な方法は、二つの集合を直接につき合わせて、 中のひとつとひとつを「一対一対応」させていくことです。その結果、ピッタリ合えば両者は 等しく、片方に余りが出たらその方が多いことになります。けれども、幼児にとってはこの「 対応づけられたものは同数だ」という原理があまり確かなことではなく、それがしっかりと分 かるまでにはさまざまな体験と成熟が必要です。いったんきちんと分かりやすい形で対応をし て「同じだ」と納得しても、片方の並べ方が変わるだけで「こっちの方が多くなった」と考え たりしますし、粘土を同じ大きさのボールにして「同じだ」と納得したのが、片方を平たくの ばしたらこっちの方が多くなった考えるなど、見た目の直感で対応の判断がくずれます。この 段階では数を理解する基盤が出来ていないのですから、「一、二、三」の数唱をいくら覚えて も数としては使いこなせません。なぜなら、数とは、この「対応したものは等しい」という原 理をそっくり道具に仕立てたものだからです。
 いま、二つの集合が直に一対一対応出来るなら、数はなくても多・少・等の区別がつきます 。紅白玉入れの審判がそれで、ふつうみんなで声を合わせて数を数えますが、べつに数えなく ても審判は可能なわけです。
 しかし直接に一対一対応のつき合わせが出来ない場合はどうでしょう。二者の間を仲立ちす るものによって一対一対応をしなくてはなりません。つまり、AとBとの間にFという仲立ち を置き、一対一対応によってAとFが等しく、FとCが等しければ、AとCは等しいことにな ります。これを推移律といいますが、数とはこの仲立ちの個々のケースに「1」とか「2」の 名前を付けたものだと考えればいいでしょう。それには、物と物との対応を基にした物と数と の対応への発展が必要で、このとき数唱が数概念を支えます。

対応、分類、順序づけ
 数唱が量としての数概念を伴うようになると、いよいよ数えることが本格化します。多・少 ・等を区別する数の機能を使って、事物を勘定したり演算する世界へ入り始め、「消しゴムと 机と先生と会わせて三つだ」と数えるのがちょっとおかしいとか、鳥の数を数えるのに動物全 部を数えてはいけないとか、さらには青いリンゴはリンゴ全部より少ないか同じはずだなどと いう分類の考え方も切実な課題となってきます。
 また、数が大小関係をもっていて、自然数がひとつずつ増えることをしっかり認識するには 順序づける操作を自由にこなせることも必要です。長さが順番に異なる棒を順番に並べて棒階 段をつくる課題をさせてみると順序づける操作にさまざまな発達段階があることが分かります 。ここでは、A<B<C…の、やはり推移律の関係を作り出して行かなくてはなりません。
 推移律という原理は数概念だけでなくあらゆる論理的思考を支える概念なのですが、子ども にはきわめて分かりにくいものです。試しに「太郎は花子より背が高い。太郎は次郎より背が 低い。だれが一番背が高い?」と聞いてみましょう。いろいろな答えが返ってきて子どもの頭 の中を覗かせてくれます。
 このように、数を獲得するまでに子どもは実に多くのことを学ばなくてはなりません。しか し、それはにわかに出来あがるものではありません。幼児期からのさまざまな数体験の積み重 ねが、小学校以後の算数の成績を規定します。ただ、幸いなことに、多くの幼児はそれを楽し みます。アディムランドでは、さまざまな視点からそうした学習を行っています。
 数学者で水道方式の提唱者である遠山啓氏の『幼い子どもの頭は、数に対して白紙です。間 違った教え方は白紙に落書きをするようなもの。わざわいの種になるでしょう。』の言葉が思 い起こされます。

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