共感的読解力と 論理的読解力

『りんご通信』2005年7月号より

アタマの中はEタイプかAタイプか

昨今、読解力の低下ということが言われます。文章を読み取る力はあらゆる教科の基本ですし、人が生きていく上でもカギとなる能力の一つです。そこで、読解力を養おうとあれこれ工夫をするのですが、問題の根は深く一筋縄ではいきません。一筋ならぬ二筋におよぶ様相を見てみましょう。

論理的読解力と
共感的読解力
 アディムの小学生クラスでは大概の子どもがわずかな休憩時間を惜しむように教室文庫の本を読んでいます。A君もそんなひとりで、けっこう複雑な物語も楽しんでいます。ただ、彼が物語の中の因果関係をどこまで理解しているかは疑問で、少し突っ込んで聞いてみればあいまいな点が目立ちます。それでも彼は登場人物への感情移入に動機づけられてひたすら物語の進展を楽しみます。対照的にB君は、もっぱら図鑑や理科系の本に興味を示し、このマシンはどうするとどう働くとか、あの昆虫は何を食べるのかなどといった事実関係には驚くほど精通していても、主人公に感情移入して物語の進展を味わうという面では幼いところがあって、ストーリーについて行けません。
 ひとくちに読解力といっても二つの側面があります。論理的な読解力と共感的な読解力です。A君に論理的な読解力が足らず、B君に共感的な読解力が足らないことは、国語の読解の勉強の際にいやでも実感することになります。また算数の文章題などでも根は同じと思わせる困難さを示します。それどころか、この違いは読解力の問題を超えて子どもの性行のあらゆるところに、それも幼い頃からはっきりと顔を出していることに気付かされます。例えば動物園に連れて行っても、動物に興味を示し、その可愛さや恐さなど情緒的に喜ぶ子がいる一方、せっかく動物園へ来たのに動物はそっちのけで、あそこの扉はどこへつながっているのか、あの水はどこから出てくるのかといった物理的な仕組みにもっぱら興味が行く子どもがいる、といった調子です。
 もちろん興味と能力は同じものではありませんから、興味はなくてもよく解るというケースも、興味はあるけれど解らないというケースもあります。けれども多くの場合、好きこそモノの上手と言われるように興味に動機づけられて能力は開発され、能力に支えられて興味が増すとう循環作用が働くもので、A君とB君のような違いにもそれがあるでしょう。

対照的な思考の傾向
EタイプとSタイプ
 こうした違いの原因を人の持っている思考の傾向の違いなのだする見方があります。人の感情や人と人の関係性を理解する共感型(empathaising) のEタイプと、物事の仕組みや因果関係を理解する システム化型(systematizing) のSタイプの違いだというのです。「人への興味かモノへの興味か」の違いだと受け止めてもいいでしょう。
 共感型の思考の持ち主は人の気持ちやその関係性から世界を捉えようとします。喜びも感じるけれど傷つき易くもあって文学などにも親和性のある、いわば文科系の思考です。勢い数学はニガ手だったりして、どちらかといえば女性に特徴的だとされます。対してシステム化型の思考の持ち主は、事実としての現象の因果関係や規則性から世界を捉えようとします。数学は好みのターゲットだったりするいわば理科系の思考で、いわゆる「オタク」に典型が見られる、男性に特徴的な傾向だとされます。文系か理系か、あるいは女性か男性かなどと決めつけるのはステレオタイプの弊があるとしても、どこか現場での実感と符合するところはあります。もとより人はこの二つを合わせ持っているわけですが、どちらかに偏りがあるのがむしろ自然というものなのでしょう。
 話を読解力に戻すと、論理的な読解力はシステム化型の思考傾向に由来し、共感的な読解力は共感型の思考傾向に由来することになりましょう。このバランスがとれると相乗効果と言いたくなるほど読み取る力は向上します。そこで、あの手この手と手を施すのですが、見てきたように問題の根は深く、気の遠くなるような長丁場になります。ひとくちに読解力と言っても、一筋縄ではいきません。

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