「勉強」には先行する「実体験」がモノをいう
『りんご通信』2006年3月号より
次ページ(本ブログではページ末尾)の図面は天秤ばかりの紙細工キットです。アディムの幼児用の教材のひとつで、大人の手で作って与えていただくためのものです。実物はA4の厚紙ですが、これを縮小転載しています。拡大(B5からA4へ)コピーし、丈夫な(市販のレターファイルに使われているぐらいの厚さの)紙で裏打ちして組み立ててると、写真のような秤が出来上がります。幼児だけでなく小学生も喜んで遊んでくれるでしょう。お試しください。
紙細工とはいえ木製の玩具などより繊細な秤の機能を発揮します。問題は分銅に何を使うかですが、硬貨がいちばん手ごろです。ちなみに一円硬貨の重さはちょうど1グラムです。これを1に、1:5:10などの分銅を作って楽しめばいい。周辺のいろいろな小物の重さを、1グラム未満の四捨五入感覚で測ることが出来ます。
この秤で子どもは
何を学ぶのか
この秤はアディムの幼児カリキュラムのある時点で顔を出しますが、だからといってその後、秤をテーマにした課題が続々と続くという訳ではありません。それよりも秤というものに触って、あれこれ体験してもらおうと意図しています。そうした先行体験がいずれさまざまな課題を展開する際にモノを言います。
まず最も基本的な、より重い方が下がるのだという認識を繰り返し体験する中で定着させます。この体験がないと、大人には自明に思えるこの認識があいまいなままです。「こっちの方がたくさんで重いんだ。ではどっちが下がる?」と聞いて「こっちが下がる」と軽い方を指す子もいるものです。
こうしたプリミティブなところから始まるさまざまな秤体験から子どもが学んでいく過程は決してスムーズではないでしょう。時に誤った認識を持ち、それを壊しては次の認識に至る、そのためには時間の経過も必要になります。そういう意味で大人の注意深い関与も必要です。ときどき付き合ってあげると、さまざまな知的発達の現場に立ち会うことができるでしょう。
例えば、一方に一円玉を一個を置いて崩れたバランスは反対側に一個を置くことで取り戻せるといった体験は否応なく子どもの思考をかき立て、重さという物理的な現象を通して一対一対応の原理を実感させるでしょう。傾いた秤のバランスをとり直すには、分銅をどれだけ取ればいいのか足せばいいのかなどの操作は、秤という仕掛けを前にすれば誰でも試みたくなる操作です。これで等しいという概念の幅を広げ、左項と右項を=(等号)で結ぶことの新たな意味を学ぶ準備ができます。重さを数に置き換えることで補数や虫喰い算の論理に無理なく入れます。また、 推移律(A=B,B=CならばA=C)を直に体験するために天秤ばかりほど適したツールはありません。
生活体験の上に
成り立っている勉強
そもそも「勉強」などというものは、学校のそれもアディムのそれも、子どものさまざまなレベルでの生活体験の上に成り立っているものです。ことに幼少児の場合はそのことが大きな意味を持ちます。勉強は、そんな子どもの生活体験を整理し、筋道立て、現実をどう見るかの視点や問題解決の方法を獲得していくものだといえましょう。
天秤ばかりは一連の重要な体験を可能にする有用なデバイスです。上の図はほんの一例に過ぎませんが、アディムのデスクワークではそれらの体験が随所でさまざまな形の課題となって取り上げられ、観念的な押し付けではない般化・抽象化への道へと子どもを誘います。