「心の理論」とは?
サリーとアン課題の教材から

【教材ユニット4178- どっちを探すか】が、
4歳で正答できれば、ひとまず安心??

 この教材 4178 は、イギリスの自閉症研究者・バロン-コーエンらによって考案された「サリーとアン課題」をクイズにアレンジしたものです。オリジナルでは人形劇の形をとっていますが、ここでは教材ユニットとして簡便な形にまとめています。

 「サリーとアン課題」は自閉症の解説書などで「心の理論」として紹介されていますので自閉症関連の課題として知られていますが、健常児(定型発達児)にとっても自己中心性の発達過程としてとらえることができます。心の理論は年齢とともに発達していく課題なのです。

 「心の理論」とは何かを【教材 4178 どっちをさがすか】ですこしだけ覗いてみましょう。
4178 どっちを探すか でフリ-・ダウンロードできます)。(先生役の説明文は上下が逆さまなっていますが、これは教室で先生と向き合ってのセッションのなごりです)

 ①→④の場面について順に説明していきます。

 ①の場面には、桃色の服を着た女の子が人形を黒い箱に入れるシーンが描かれています。「ももこが にんぎょうを くろいはこに いれました。」と読みきかせます。対象児(つまりあなたのお子さん)は、女の子が「ももこ」という名前で、人形は黒い箱に入ったものと考えるでしょう。

 ②の場面で「そして、ももこは あそびにいきました。」と読みきかせます。
黒い箱はちゃんとふたがしてあり、外から中身は判りません。

 ③の場面で「たかしは くろい はこから にんぎょうをだして、しろい はこに いれました。」と読みきかせます。お子さんは、人形は白い箱に入っているものと考えるでしょう。

 ④の場面で「ももこが かえってきました。ももこは どちらの はこを あけるでしょう。」と読みきかせ、お子さんに答えを求めます(言葉でなくても「こっちの箱」と指で示しても構いません。言語か視知覚かの微妙な違いはありますが……)。

 正解は「黒い箱」です。ももこ自身は黒い箱にいれたと思っているからです。ところが、お子さん自身は白い箱に入っていることを知っていますから、「白い箱」と誤答することがあります。他者である「ももこ」の心の中を読み取ることができないのです。つまり、「自分」の心と「ももこ」の心の違いがまだ理解できないからで、他者の視点、他者理解が成立していない発達過程にあると考えられます。これが「心の理論」と言われるものです。

 一般的に心の理論である他者理解は3歳ごろから徐々に発達し、4歳台で成り立つとされます。ところが自閉傾向があるとこの他者理解に遅れがみられ、そのため認知や対人関係に不適応が生じます。

 本来、「サリーとアンの課題」は自閉傾向の指標を得るために考案されたものでした(もともとのオリジンはオーストリアの心理学者 H.ウィマーの「マクシとお母さん」にありましたが、今ではバロン-コーエンらの「サリーとアン」として普及しています)。
 この種の「課題」は実にいろいろなバリエーションが考えだされていて、多岐にわたります。当サイトの公開教材でも対象年齢にふさわしい課題をもうひとつ教材に加えています。パーナーらによる「スマーティ・タスク」と呼ばれる課題を教材化した【4028-箱の中にはあると?】がそれで、これも日本の子どもたちの環境にあわせて簡便なクイズにアレンジしています。(4028-箱の中にはあると?でフリー・ダウンロードしてみてください)
 教材の説明はもう不要でしょうが、「お父さんは鉛筆が入っていると思った」と答えるなら、まだ「心の理論」が未獲得であると判断されることになります。

 子どもの発達にはデコボコや偏りがあるものですが、もし年長さんになってもこれらの教材ユニットに正答できないようなら、念のため専門機関にご相談なさるのもいいでしょう。

 なお、知的に高い自閉傾向児のなかには年中さんでも正答する子がけっこういますし、逆に正答できなかったとしても他者視点がまだ希薄なだけかもしれません。現場の状況は少々複雑で、これらのみをもって自閉傾向云々を判断することはできないようです。

 ただ、発達の観点からいえば、これらの教材を間をおいて繰り返すことで自己中心性の発達過程を促進する効果が期待できます。いわゆる「気づき効果」です。

 このように、アディムランドの教材はいずれも発達心理上の課題をクイズやパズルにアレンジしています。
教材をこなすことによってレディネスに応じた知的発達を促すことができると同時に、お子さんのレディネスのありようを教えてくれるものでもあります。

 また、「物語」を通じて多様な人間関係の在り方を教えることが最も重要だと説く研究者もいます。お話・絵本・小説・ドラマ・映画などです。もっともなことでしょう。

 


「心の理論」という日本語について

 「心の理論」という言葉は発達心理学の世界では通りがよく、今や学問上の中心的テーマのひとつとなっているほどですが、初めて聞いた方にはいささか日本語としてこなれの悪いところがあります。たぶん主体か客体かの響きの混乱が内在すると思うのですが、よくわかりません。
 「心の理論」という言葉を初めて創って使ったのはチンパンジーの研究者でした。「チンパンジーには他の個体の心のうちが理解できるのか」といった研究で、そこでは「心の理論」と「物の理論」といった対比的な概念があり、これならこれで少し必然性を感じることもできます。
 英語では “Theory of Mind”   略して “TOM” ですが、ここでの ”O” つまり ”of ” は「同格」と取るのが適切なので、そのまま「こころというセオリー」と受けとめるべきだとする研究者もいます。

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