算数の基礎「一対一対応」にかける「秘策」とは?

算数の基礎中の基礎と言ってもいい「一対一対応」とはどのようなものか、教材を参照しながら見ていこうというのがこのコラムの目的です。

じつは、アディムランドでは、一対一対応を2歳から3歳の時期に 感覚運動的に刷り込んでおけば、それ以後の数がしっかりしてくると、密かに考えています。あとに続く象徴的・記号的な操作の段階とは違って感覚運動的に体験できる操作が一対一対応なので、この「秘策」は妥当なのです。

 

2歳向けグレードの教材
では、一対一対応とはどんなものか、まず、2歳向けの教材を通して見ていきましょう。ここではクイズもまだシンプルなものです。

2716 くつ下のペアつなぎ
身近な靴下を取り上げた、まさにプリミティブな一対一対応の課題。子どもは、線で結ぶという応答手段を通して一対一対応を感覚的に体験します。

2776 マーカーとふた
教室で使っていたマーカ―ですが、ご家庭でもセットでお揃えなら本体とふたが一対一対応していることを子どもも実感していることでしょう。無くなれば探さなくてはなりません。
ここでも線で結ぶという操作を経て一対一対応を体験します。

2836 おかあさんはどこ
子どもにとって切実な「おかあさん」を探す課題です。ここでもまだ探索作業は軽く、対応するお母さん像は順次に置かれていて2歳児でも確認しやすいように配置されています。線を描いて結ぶという操作を通して一対一対応を体験します。

2926 犬を小屋に 
犬6匹に小屋が6つ。ここでは子どもの意志が働きます。ある子はサンプルに倣って順次に導く線を描きますが、別の子は「この犬にはこの小屋」と思い思いに導く線を描くなど様々です。どう描こうと6匹にはそれぞれ小屋に収まることができれば「めでたしめでたし」です。

3歳向けグレードの教材
一対一対応の課題は3歳向けで最盛期を迎え、教材は数多く公開されていますが、そのうちのいくつかを拾ってみましょう。

3066 つくりすぎた雪だるま
「大きい・小さい」「長い・短い」「高い・低い」などのクイズの中に「多い・少ない」のクイズがまぎれ込んできます。
一対一対応して線でつなぐと、ひとつ「余分な」頭が明らかになります。「集合」の解である一対一対応が顔をのぞかせます。

3094 点を抑えながら言う
「はさみ」と言いながら〇点を音節に合わせて押さえる課題です。文字の教材ではありますが、音と点押さえの一対一対応は数の準備としても重要です。

3096 どっちのくつした?
くつしたはペアでなくては用をなさないのに、ときどき片方がなくなります。一対一対応で線をつなげば、どっちのくつしたがなくなったかが分かるクイズです。
3118 誰の防止かな?
だれの帽子か、子どもの生活体験から推し測る課題です。サンタさんから始めて絵本などで見知ったことを、帽子を切って貼る作業を通して一対一対応を体験します。
このように、一対一対応の操作は生活の中にあって「これにはこれ」といった機序を子どもの中に生じさせます。

3136 どっちのふただろう
おなじみのマーカーとふたのクイズ。一対一対応で線をつなげば、どっちのセットが足らないかが分かります。

3146 くまさんとビスケット
数を知らないくまさんも多い方が嬉しいはず。どちらが多いか分かりにくくても、一つに一つを線でつなげばどちらが多いかが分かります。
なお、答は不等号の切り貼りでするようにデザインされていますが、不等号は形に象徴性があるので幼児にも使いこなせるもので、そのための教材も用意されています。

3176 どっちが多い
そろそろ一対一対応の課題に象徴的・記号的な要素が入り込み始めます。3176は数式の形を取り始めた一対一対応クイズです。式では不等号が多用されます。

3216 うさぎとにんじん
うさぎとにんじんを一対一対応させて線でつなぐと、にんじんが1つ足りません。当たらなかったうさぎに泣き顔を貼ってあげるという物語性が子どもにウケるクイズです。

 

一対一対応の感覚的な刷りこみを意図した教材群の中に象徴・記号的な教材が紛れ込んできます

3歳向けグレードでは、徐々に次の段階の象徴・記号的な課題が紛れ込んできます。さまざまな数表象です。
少しだけその様子を垣間見てこのコラムを締めくくることにしましょう。

3266 四つの積み木数え
数唱の「いち・に・さん・よん」は幼児が真っ先に獲得する数表象です。
例えばこれは、積み木などを「いち・に・さん・よん」と数を唱えながら指し示す行為とを一対一対応させる学習です。
集合数理解の発達過程としては、「いち・に・さん・よん」と差し示し、最後に止めて、その「よん」がそれまでを含む「集合」の値であると認識するまでには幾多の段階(リンク先の「百まで言えても」参照)があります。

3426 丸・数字・指 の1対1対応
数唱(いち・に・さん・)とともに幼児の自然数概念を作り出すデバイスが「指」です。これを、より抽象的な「数字」に〇点で具体性を持たせて一対一対応を可能にした工夫が〇点数字です(〇点数字はいずれフェードアウトしていきますが)。

3476 数のまる塗り
数唱、半記号(〇など)を指サイン・数字などこれから幼児が獲得する様々な数表象との関係を、〇を塗って認知するマトリクス形式の教材です。塗る作業を通してマトリクス構成の理解が進みます。

3766 丸・数字・指 のマトリクス
縦と横のマトリクスを構成するクイズです。
記号である「指」と「数字」を、多様な具体物である「動物・りんご・人 」の数的側面に位置づけていく作業。数の認識がマトリクスの理解に役立っています。

 

これらの課題が、それに先行した感覚運動的な一対一対応の刷りこみの上にしっかり成り立つのだとアディムランドは考えています。戦略的秘策です。

「一対一対応」とはどんなものか、アディムランドではこれをどうとらえて展開しているのか、お分かりいただけたしょうか。
なお、関連する記事「幼児に数をどう教える」もご参照ください。

耳慣れない理論を述べるより教材を通してご説明する方が具体的分りやすいと言ってくださる声に応えて、これからもいろいろなテーマを取り上げてまいります。今後とも「りんご通信コラム」をよろしく。

 

くっつき(助詞)が
文意を決める日本語

日本語は「膠着語」といって、助詞が文意を決める重要な働きをしています。いわゆる「て・に・を・は」です。アディムランドではリテラシーの将来に影響のある重要な課題なので早くからその課題に取り組んでいますが、理解に個人差が大きい分野ではあります。

ある子は幼いうちから助詞を正確に使いこなせるのに、別の子はさっぱり分からないなど、生得的な資質の大きさが感じられる領域ですが、さっぱり分からない子にこそ課題体験がものを言うのもこの課題ならです。使いこなせる子は放っておいてもいいほどなのに、こっちは課題を大いに楽しんでくれます。

アディムランドでは助詞を子どものために「くっつき」と命名しています。助詞は他の言葉にくっついて初めて用をなすからです。
「くっつき」がいかに大事かを、教材を参照しながら見ていきましょう。

4歳向けグレードにはどんな教材が?

例えば 4574 を取り上げてみましょう。

まず、相互に入れることのできる適度な大きさの箱と袋を用意します。
問題は次の5問です。

・はこ ふくろ いれなさい。
・はこ ふくろ いれなさい。
・ふくろはこいれなさい。
・はこ ふくろ いれなさい。
・ふくろ はこ いれなさい。

 これを、実際にやってもらいます。4547 あたりの位置づけでは、助詞の意味が分かって正解する子、分かりかけている子、さっぱり分からない子など多様です。

行動が伴う課題なので、動きの中に気づきのヒントが隠れています。「」は「のなか」などと補助的な言葉を添えることで手掛かりが生じて分かり始めることもあります。
さっぱり分からない子も、何回か繰り返すうちにおぼろげに気づく場合もあります。なかなか気づいてくれない場合もありますが、そんなケースでもこの課題体験は無駄にはなりません。どの子も「クイズに正解したい」という思いは一緒だからです。そんな状態をうまく維持してあげるのが大人の役割といえましょう。

もうひとつ4歳向けの教材から 4784 を取り上げてみましょう。

問題は次の6問で、当てはまる図形へと線で結ぶクイズです。

・しかく まる はいっている
・しかく まる はいっている
・さんかく しかく はいっている
・さんかく しかく はいっている
・まる さんかく はいっている
・まる さんかく はいっている

 この教材は先出の 4574 のバリエーションとも言えます。多少なりとも  くっつき(助詞)が分かりかけた子どもが喜びます。

大人の会話では、助詞を省略してしまうことが少なくありませんが、子どもへ語りかける場合は、少ししつこいぐらいに強調する方が望ましいのかもしれません。

5歳向けグレードにはどんな教材が?

次に5歳向けのグレードから助詞関連の教材を拾ってみましょう。
5234 です。

設問は次の4こ。絵に合わせて_部に助詞を入れる課題です。

たろう_
はなこ_
たたいた。

たろう_
はなこ_
たたいた。

 この文の_に 絵に合った助詞を入れるクイズです。
クイズは能動態構文と受動態構文とを対比させていますから、述部の「たたいた」と「たたかれた」がカギとなります。
ケンカは子どもの世界にはつきもの‥‥。「たたく」に対して「たたかれる」は子どもにはナラティブ(物語)としてリアリティのある受け身構文です。
いきなりでは、少々難しいことが多いのが実際で、苦も無く正答する子は限られてきます。

もう少し手掛かりのある助詞関連の教材を、5歳向けのグレードから拾ってみましょう。
5354 は、分け読み・助詞二択・助詞入れ の三部作です。ここでも助詞が主要なテーマです。

まず「わけ読み」。文を分かりやすく分析してみます。
授与構文なので述部の「あげました」がカギとなります。

 5364 は、助詞の二択クイズです。

 5394 は「ももたろう_ いぬ_ きびだんご_ あげました。」の文中に助詞を書き込むクイズです。
 いずれも助詞に焦点を当てています。
これらを一挙にするか 間をあけてするかは 状況によります。一挙にすると前後のつながりで理解もつながります。間をおいて 5394 に正答するようならかなり分かってきたと言えましょう。

6歳向けグレードにはどんな教材が?

6歳向けグレードではどうでしょう。
6歳向けでも、先出の 5234 のバリエーションが再び、受け身構文に焦点を合わせて顔を出します。6074 がそれです。

 

6歳児向けの中で意外に難しいのが 6154 のクイズです。前掲の教材ではナラティブ(物語)がイラストで示されていましたが、それを自分で想像して、構文から推定しなくてはない難しさがあります。

 

ここで、6歳向けグレードの中で子どもがおしなべて喜ぶ教材を取り上げてみましょう。それは 6214 のセットです。

どんなクイズかを説明しましょう。
まずセットの初めはクイズの仕方を説明した、いわば指示書です。
 次いで、「付)カード」を厚めの紙に印刷してカード状に切り取ります。
これは、このクイズで使うカードです。これだけで遊ぶこともできます。
 カードの片面には、〈いつカード〉〈だれがカード〉〈どこでカード〉〈なにをカード〉〈どうしたカード〉と色分けで記されています。いわゆる5Wですが、いずれも日本語では「くっつき=助詞」がそれを明示しています。

この面を表にし、各色を集め、裏面にある言葉をつないで偶然に出来上がった文を味わいます。いずれも少なからずナンセンスなところがあるはずで、子どもたちにバカ受けすることでしょう。

次いで、最も面白げな組み合わせをあえて見つけさせ、「付)絵日記風用紙」に書き取ります。
6214  付)はそのための絵日記風の書き込み用紙です。
 書くという作業で締めくくることが「書き言葉の世界」に子どもをいざないます。

この 6154 はもともと小学部の教材でしたが、偶然が生んだナンセンスな成り行きが子どもを動機づけるので、幼児用におだやかにアレンジして移植したものです(小学部の教材はもっとラジカルです)。

各グレードの検索欄に「助詞」と入れると関連教材が拾えます。

 

助詞は最初で最後の難題などとも言われますが、本サイトでは、幼児期にその子その子に応じた数多くのオリジナル教材を用意しています。無料ダウンロードでお子さんに合わせてご活用ください。
得意な分野を伸ばすのか、足らない分野を補うのかは教育の永遠の課題ですが、助詞の学習は将来のリテラシーを左右する能力なので充実した幼児期を送らせたいものです。

「心の理論」とは?
サリーとアン課題の教材から

【教材ユニット4178- どっちを探すか】が、
4歳で正答できれば、ひとまず安心??

 この教材 4178 は、イギリスの自閉症研究者・バロン-コーエンらによって考案された「サリーとアン課題」をクイズにアレンジしたものです。オリジナルでは人形劇の形をとっていますが、ここでは教材ユニットとして簡便な形にまとめています。

 「サリーとアン課題」は自閉症の解説書などで「心の理論」として紹介されていますので自閉症関連の課題として知られていますが、健常児(定型発達児)にとっても自己中心性の発達過程としてとらえることができます。心の理論は年齢とともに発達していく課題なのです。

 「心の理論」とは何かを【教材 4178 どっちをさがすか】ですこしだけ覗いてみましょう。
4178 どっちを探すか でフリ-・ダウンロードできます)。(先生役の説明文は上下が逆さまなっていますが、これは教室で先生と向き合ってのセッションのなごりです)

 ①→④の場面について順に説明していきます。

 ①の場面には、桃色の服を着た女の子が人形を黒い箱に入れるシーンが描かれています。「ももこが にんぎょうを くろいはこに いれました。」と読みきかせます。対象児(つまりあなたのお子さん)は、女の子が「ももこ」という名前で、人形は黒い箱に入ったものと考えるでしょう。

 ②の場面で「そして、ももこは あそびにいきました。」と読みきかせます。
黒い箱はちゃんとふたがしてあり、外から中身は判りません。

 ③の場面で「たかしは くろい はこから にんぎょうをだして、しろい はこに いれました。」と読みきかせます。お子さんは、人形は白い箱に入っているものと考えるでしょう。

 ④の場面で「ももこが かえってきました。ももこは どちらの はこを あけるでしょう。」と読みきかせ、お子さんに答えを求めます(言葉でなくても「こっちの箱」と指で示しても構いません。言語か視知覚かの微妙な違いはありますが……)。

 正解は「黒い箱」です。ももこ自身は黒い箱にいれたと思っているからです。ところが、お子さん自身は白い箱に入っていることを知っていますから、「白い箱」と誤答することがあります。他者である「ももこ」の心の中を読み取ることができないのです。つまり、「自分」の心と「ももこ」の心の違いがまだ理解できないからで、他者の視点、他者理解が成立していない発達過程にあると考えられます。これが「心の理論」と言われるものです。

 一般的に心の理論である他者理解は3歳ごろから徐々に発達し、4歳台で成り立つとされます。ところが自閉傾向があるとこの他者理解に遅れがみられ、そのため認知や対人関係に不適応が生じます。

 本来、「サリーとアンの課題」は自閉傾向の指標を得るために考案されたものでした(もともとのオリジンはオーストリアの心理学者 H.ウィマーの「マクシとお母さん」にありましたが、今ではバロン-コーエンらの「サリーとアン」として普及しています)。
 この種の「課題」は実にいろいろなバリエーションが考えだされていて、多岐にわたります。当サイトの公開教材でも対象年齢にふさわしい課題をもうひとつ教材に加えています。パーナーらによる「スマーティ・タスク」と呼ばれる課題を教材化した【4028-箱の中にはあると?】がそれで、これも日本の子どもたちの環境にあわせて簡便なクイズにアレンジしています。(4028-箱の中にはあると?でフリー・ダウンロードしてみてください)
 教材の説明はもう不要でしょうが、「お父さんは鉛筆が入っていると思った」と答えるなら、まだ「心の理論」が未獲得であると判断されることになります。

 子どもの発達にはデコボコや偏りがあるものですが、もし年長さんになってもこれらの教材ユニットに正答できないようなら、念のため専門機関にご相談なさるのもいいでしょう。

 なお、知的に高い自閉傾向児のなかには年中さんでも正答する子がけっこういますし、逆に正答できなかったとしても他者視点がまだ希薄なだけかもしれません。現場の状況は少々複雑で、これらのみをもって自閉傾向云々を判断することはできないようです。

 ただ、発達の観点からいえば、これらの教材を間をおいて繰り返すことで自己中心性の発達過程を促進する効果が期待できます。いわゆる「気づき効果」です。

 このように、アディムランドの教材はいずれも発達心理上の課題をクイズやパズルにアレンジしています。
教材をこなすことによってレディネスに応じた知的発達を促すことができると同時に、お子さんのレディネスのありようを教えてくれるものでもあります。

 また、「物語」を通じて多様な人間関係の在り方を教えることが最も重要だと説く研究者もいます。お話・絵本・小説・ドラマ・映画などです。もっともなことでしょう。

 


「心の理論」という日本語について

 「心の理論」という言葉は発達心理学の世界では通りがよく、今や学問上の中心的テーマのひとつとなっているほどですが、初めて聞いた方にはいささか日本語としてこなれの悪いところがあります。たぶん主体か客体かの響きの混乱が内在すると思うのですが、よくわかりません。
 「心の理論」という言葉を初めて創って使ったのはチンパンジーの研究者でした。「チンパンジーには他の個体の心のうちが理解できるのか」といった研究で、そこでは「心の理論」と「物の理論」といった対比的な概念があり、これならこれで少し必然性を感じることもできます。
 英語では “Theory of Mind”   略して “TOM” ですが、ここでの ”O” つまり ”of ” は「同格」と取るのが適切なので、そのまま「こころというセオリー」と受けとめるべきだとする研究者もいます。

教材が出来るまで…その過程を明かしましょう

アディムランドの教材の全般的な特質は、発達心理学をはじめ国語学・数学・論理学その他さまざまな分野の知見を根拠に、それら多様なコンセプトを教材に再構成しているところにあります。ここで、一例をあげてその過程をたどってみましょう。

足し算より引き算が難しいのはなぜか? に解を見つけたい!
幼児に引き算をイメージさせるのは足し算よりはるかに難しいという現実があります。その要因を「幼児は、集合(クラス)における部分と全体を同時に把握できない」という心理学上の知見に求め、「解決」の道筋を探っているのが以下に掲げる一連の教材です。

心理学の泰斗、ピアジェの『新しい児童心理学』(J.ピアジェ他著・白水社刊クセジュ文庫・1,961年)に次のような記述があります(104ページ)。引用しましょう。論理的な説明のあとに具体例として提示されたものです。

たとえば、十二本の花からなる集合Bがあり、その下位集合Aとして六本のサクラソウが含まれているものについて、子どもに花BとサクラソウAとをかわるがわる指定させてみると、彼は正しく応答して、B全体およびその部分Aを指定できる。ところが、≪ここには花の方がたくさんあるのか、サクラソウの方がたくさんあるのか?≫と尋ねてみると、彼ははめこみA<Bにしたがって反応することができない。それは、彼が部分Aを考え出すと、全体Bはひとつの単位として保存されなくなって、もはや、Aはその補集合A’としか比較しえなくなる(だから、彼は、≪同じ≫と答えたり、またサクラソウが七本ならサクラソウの方が多い、と言ったりするのだろう)からなのである。このようにもろもろのクラスを外延においてはめこむことは、八歳ごろにできるようになるものであり、また、操作的なクラス化を特徴づけるものである。

ここに「引き算の難しさ」があるのではないかと仮定し、この知見を解きほぐして課題に再編したの以下の教材です。いわば「知見への逆襲」ですね。

まず、【5538  どっちが多く囲んでる】ですが、ここには少しだけ「知見への逆襲」が忍び寄っています。

5576  どっちが多く囲んでる?】では、5538の要素をすでになじんだ集合のベン図にはめ込んで、AとB、つまり部分集合と全体集合のどちらが大きいかを、ビジュアルな図上で問うています。

また、【5718  りんごは残っているか?】では、同じ知見への解きほぐしを異なるアプローチでまさぐっています。
(三段論法の論理操作。賛否のあるピアジェの実験「都市Nの住民のいくらかはブルターニュ人である」「都市Nのブルターニュ人はすべて戦争で死んだ」「都市Nの住民は、まだ生き残っていたか」の課題を構成はそのままにより子どもに妥当な内容へアレンジしたものです。)

そして、【5936  全体集合と部分集合】では具象画と言語とをリンクさせ、部分集合と全体集合のどちらが大きいか問うています。クイズはいよいよ核心へと迫ります。

6038  金魚と黒い金魚】では「知見への逆襲「」そのものがクイズとなっています。

このようなクイズを手を変え品を変え繰り返すことが「発達の最近接領域」に向けて有効なことがあります。成熟の平面に鍬を入れるような面白い試みだと評価をいただくことはありますが、簡単に答えが出るものではありません。ただ、少なくともこれらのクイズを好奇心をもって受け入れてくれる子がいること、誤答から正答に至る間に「なぜ引き算が難しいのか」を垣間見ることができること、などはご報告できます。

発達がゆるやかなお子さんのスキルアップに

易しいものを選ぶ
知的な遅れ(これもいろいろあって複雑ですが)のあるお子さんに勉強してもらうには、まず易しい教材を選んで「出来た感」をしっかり実感させてあげることです。アディムランドの公開教材なら、広範なリストの中からご本人に合ったもの、分かりやすいものを選んでお試しいただけます。選び直しも自由自在です。

発達のペースは違っても道筋は同じ
アディムランドでは遅滞のあるお子さんのコースがあって、そうした取り組みの中から生まれた教材がここにも多く取り込まれています。遅滞児、健常児、英才児と発達のペースは違ってもたどる道筋は同じ。公開教材の中からバッテリーを組んで、それぞれのペースに応じたプログラムを自前で編成していただけます。

たとえば迷路…  たかが迷路、されど迷路
【3092(P 迷路をやってみよう】は迷路とも言えないほどのごく簡単な迷路ですが、知的な発達に遅れがあるお子さんの場合「カメさんをハタのところへ」と言われてご覧のような線を描いてしまうことがあります。

これは、線が塀を表していて乗り越えられないということがまだ認知できないためです。
そんな場合は線の上にダンボールで塀を立てるなど立体的に具現化し、そこに出来た通路を人形や指でたどらせるなど課題を分かりやすくして始めます。そして徐々に、立体の塀と平面の線を連合させ、迷路の世界へと誘っていきます。

迷路は、ほとんどの子が楽しむ「ごほうび課題」ですが、それは線をまたいではいけないという約束事があってこその話。そこには、何か(塀)を別の何か(線)で表すという記号的な操作がひそんでいます。
迷路の世界に目覚めた認知能力は様々な領域に般化していきます。たかが迷路、されど迷路です。

公開され、新天地へと躍り出た教材たち!

広範な中から、いつでもどなたでもお好きなものをお好きな時に試みることができる…、一般公開という環境はアディムランドの教材に新天地をもたらしました。教室という狭い世界から解き放たれ、幼児用という対象の枠を超えて、教材たちは今、新たな世界で新たな使命を得つつあります。

年齢や状態などのニーズに合ったものを探せます
たとえばある種の教材は高齢者の認知症予防にいいと評価をいただき始めました。また障害者のトレーニングにふさわしい教材が見つかるという声もいただいています。幼児用として難しすぎる教材は年齢をあげて小学生に使えるといった声も聞こえてきます。これまでの教室での組織的な取り組みとは違った自由な使い方が一般公開で生まれています。

一般公開に当たって微調整したこと
教材を一般公開にするにあたって少しだけ改訂をしました。
ひとつは教材番号の全面再編です。これまで分野別に番号付けられていたものを混成し、少々の無理を承知で幼児の年齢の範囲に配列し直しました。
また、特定教具を必要とする課題は「物」をPDFでは再現できないため原則として外しました。しかしながら教材としては多岐にわたる肝要な部分なので今後の課題としています。

今後の課題といえば…
アディムランドの教材には幼児用とは別に小学生対象の教材がありますが、1単元が何ページにもわたる息の長いもので一般公開にはなじみにくさが予想されます。いずれはこれらもユニット体に作り直して7000番台以降に組み込んでいく計画です。
既に公開された教材も、頂いた声を参考に教材の改善を行ってまいります。どしどしお寄せください。

高齢者のアタマの体操にも…

ご高齢のみなさん、お試しください
お年寄りやそのお世話をなさっている方々から反響をいただいています。
たとえばこのユニットはです。
5996  答が8になる足し算】ですが、単なる足し算練習ではなくちょっとだけ頭をひねる必要があります。足し算のようで引き算でもあるクイズです。子どもには難しくてもお年寄りにはほどよいはず。

また、これなどもいかがでしょう。
5972  重なり歯車】です。かなり集中しないと失敗するかもしれませんよ。

もひとつだけ、例をあげてみましょう。
6094  紙に星を書いて】はいかがでしょう。きっとお楽しみいただけることでしょう

この他、多くの教材ユニットがあなたをお待ちしています。無料ですからお気軽にお試しください。


▼追加サンプルリスト
その後、閲覧者の皆さんから、高齢者向けに好かったのでサンプルに加えたら…とお声をいただきました。いくつかリストアップします。ありがとうございました。

4402(p 3つの形を覚えて当てる】は、短期記憶(ワーキングメモリー)のクイズ。認知症の初期症状のリハビリになると。
短期記憶のクイズは、視知覚系・言語系・数理系・聴覚系と、手を返しのを変え、たくさんあります。

5052(p 部屋ぬけ迷路】は、無条件に楽しめるはずだと。

5964(v さんぽの道順】は、言葉と方向感覚とがクイズを織りなしていて、お孫さんやお知り合いの子どもさんを思い浮かべてやれば気持ちも入りそうだと。

6002(v まるい迷路】は、集中力が鍛えられて、楽しく手と目を動かせていい刺激になりそうだと。

6004(v 上の左に三角が…】は、説明文をきちんと読んで、どの図が当てはまるか考えて選ぶのが楽しく頭の体操になりそうだと。

6012(pr 絵の順序;釣り】は、絵を見ながら時間軸に併せて連想して、順番通り並べるのが刺激になりそうだと。

6036(m 答えが5の加・減算】は、答えが5になるように、数字を当てはめることが刺激になりそうだと。

6204(v ピーマン問答】は、一番合っている文章を複数の中から選ぶのが楽しく良い頭の体操になりそうだと。

まだまだたくさんありますが、ご自分でお探しいただきましょう。

なお、高齢者向けのサイトも開設しています。

物忘れアタマを楽しむ!

「ほめる」と「おだてる」を考える

『りんご通信』2000年1月号より

 「ほめる」と「おだてる」はどう違うかと聞くと、「おだてる」には下心が感じられ「ほめる」にはそれがない、という指摘が返ってきます。まさにその通りなのですが、ここではその点をひとまず棚上げして、別の角度から両者の違いを考えてみましょう。面白いしつけのチップスが見えてきます。

 まずこの二つは発するタイミングが違います。つまり、「ほめる」のは何か行動があった後であるのに対して「おだてる」のは行動の前です。「ほめる」も「おだてる」も快さが共通点の、いわばごほうびなのですが、それを与えるタイミングの違いが「ほめる」と「おだてる」の構造的な違いをもたらしています。
 「豚もおだてりゃ木に登る」という諺があります。木にはとうてい登れない豚でさえもおだてれば…、というわけです。けれどもぼやき漫才風に屁理屈をこねると、どんな豚であってもおだてられて木に登ることはありません。豚を木に登らせようとするなら、登りかけたらすぐほめ、また登ったらすぐほめることをつないでいくほかないでしょう。ところが人間ならおだてて木に登らせることが出来る…、という訳で、しつけにおいてもついつい親は子どもをおだてて何かをさせようとしがちです。けれども子どもだってそうそうおだてには乗ってはくれないものですし、そればかりか、逆効果に終わることも少なくありません。それはなぜでしょう。
 行動主義の心理学に「強化の原理」というものがあります。ある行動に対してごほうび(報酬)が返ってくるとその行動は強化され、ごほうびが返らなくなると消去する。また、ある行動に対して不快な刺激、つまり罰が返ってくるとその行動は減少するという、いわばアメとムチの原理です。アメといっても文字通り生理的な作用を持つものから賞賛や注目などの社会的報酬と呼ばれるものまでを含み、さらに嫌なことがなくなるのもアメのうちです。
 しかし「おだてる」はこの原理にすんなりと収まりません。「おだてる」をこの原理から見ると「ほめる」というアメに変身してしまいます。このアメが、まだ行動がない時点で与えられているのですから、「何もしないことを強化する」結果に成りかねないのです。「おだてる」が逆効果になる訳です。
 「おだてる」が成り立つにはそのメッセージが伝わらなくてはなりません。それには高度で大量な情報の入力が必要です。受け手の能動的な姿勢も欠かせません。ところが快いごほうびのアメに変身してしまえばはるかに少ない情報入力で済みます。「おだてる」が失敗するのはこの単純な情報合戦に負けたときだと言えましょう。情報の受け手が未成熟であればある程そうなる可能性は高くて当然です。
 強化の原理(学習理論、オペラント条件付けなどとも言う)はもともと動物の行動を対象に出発したものです。人間の営みが(そしておそらくは動物のそれでさえも)本質をすべてこの原理で説明できるほど単純なものだとはとうてい思えませんが、同時にこの原理が、動物はもとより人間の営みのあらゆるところに働いていることも否定できません。情報入力が少なくて済む経済的な適応機構ですから、乱暴な言い方をすれば、人間の中の動物と共通する部分で幅を利かせています。だから、しつけの場でもこれに逆らったアプローチが難しいものになることは知っておくべきです。
 学ぶべきは、子どもが何かをしたりしなかったりするとき、そこに何かごほうびが働いているのではないかと逆方向から考えてみる視点を持つことです。例えば、子どもの悪語(「ばばたれ」を頻発するなど)はよくあることですが、叱っても叱ってもやめないなら叱ることがごほうびになっているのではないか…と、逆に考えてみましょう。叱るのを一切やめて無視したらだんだん言わなくなったなどというケースはよくあります。叱ったり罰を与えたりするより、その行動を強化している刺激(強化子)を見つけ出して取り除くのは親切で有効な方法です。
 しつけには「したいことをさせない」と「したくないことをさせる」がつきものですが、そのための学習理論の立場からの技法にはまことに精緻なものが構築されています。機会があればまた見てみましょう。

 ところで、こうしてみると「おだてる」というのは、相手の期待に応え自分を励まして高みを目指すという、優れて人間らしい反応を期待したものだといえます。「おだてる」の語感の悪さをを除けばむしろ子育ての王道だとさえ言えましょう。ただこれも過ぎると過剰適応の怖さがあります。やはり子育てはほどほどのバランスが大事です。

サンタクロースと ファンタジー

『りんご通信』2001年12月号より

 1973年12月10日の朝日新聞に児童文学者の松岡亮子さんが『サンタクロースの部屋』と題する一文を寄せています(これは後に同名のエッセイ集の序文に転載されているのでお読みになった方もいるでしょう)。その中で、あるアメリカの児童文学評論誌の記事として次のような文章を引用しています。
 「子どもたちは遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。知ってしまえばそのこと自体は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためではなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」というものです。
 これを受けて松岡さんは、「心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間をつくりあげている」ので、長じてサンタクロースがいなくなっても、そこに「サンタクロースに代わる新しい住人を迎え入れる」ことができる。それは「目に見えないものを信じるという心の働き」で、この働きが「人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かはいうまでもない。のちに、いちばん崇高なものを宿すかもしれぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによってつくられるのだ」と述べています。
 このコラムが載った頃、日本の社会は技術革新と高度成長に走る一方で、人の感性や知性が合理性だけでは治まらないことに目を向け始めていました。ファンタジーの意味が問い直されていたのです。その後、オカルトや超能力ブームから宗教や「精神世界」ブームからオーム真理教、最近では「千と千尋の神隠し」や「ハリー・ポッター」まで、ファンタジーをめぐる世相にはめまぐるしいものがありますが、世の中がどう変わろうと、松岡さんが説くサンタクロースの意味は、ほど良い普遍性を保っているように思います。
 ところで、松岡さんはさらに、
「別にサンタクロースには限らない。魔法使いでも、妖精でも、鬼でも仙人でも、ものいう動物でも、空とぶくつでも、打ち出の小槌でも、岩戸をあけるおまじないでもよい。幼い心に、これらの不思議の住める空間をたっぷりとってやりたい」と書いていますが、しかし、サンタクロースは、魔法使いや妖精等々のファンタジーとは明らかに別次元のリアリティーをもっています。それは言うまでもなくサンタさんのプレゼントであって、サンタはおとぎの世界と現実世界を「現物への欲望」で架け橋するいささかトリッキーなファンタジーなのです。トリックの実行犯たる親としては、これがどう続くのか、その行く末が気になるものではないでしょうか。そこで一編の詩を鑑賞していただきましょう。
 「サンタクロース」と題したこの詩は、以前、アディムの課題で三年生の女の子が書いたものなのですが(散文として書かれたものを詩の体裁に補作し、アディムの4年生の教材に借用しています)、サンタクロースという圧倒的なインパクトをもつファンタジーが、その後の子どもの現実認識とどう折り合っていくのをかい間見せてくれます。

  「サンタクロース」
 クリスマスの夜/私はきいてみました。/どうせ、サンタさんがもってくるんやから/高いものでもいい?/お母さんは/「あかん。」といいました。/そうか、やっぱりあかんのか。
 いもうとに/私はきいてみました。/サンタクロースって、いてるとおもう?/いもうとは
「いてない。」といいました。/そうか、やっぱりいてないのか。
 おねえちゃんにも、私はきいてみました。/するとおねえちゃんは/「ゆめがないんやな。」と、いいました。/わたしは/「そうか!」と思いました。
 いもうとは、サンタクロースなんて/いてないっていうけど、/私は大きくなるまで/いてると思っとこ。
 ときどき、いもうとが/サンタクロースなんて、いないというと/私はいそいで/「いてる、いてる。」といいます。

 これを学習課題にして考えを展開させるとまた面白い話になるのですが、それはさておき、この詩に、「目に見えないものを信じるという心の働き」が揺さぶられ変容しつつ再生していく様が見て取れはしないでしょうか。人間の心には、ほどよいファンタジーが必要なのです。